Thursday, July 16, 2015

【雑感】 子供が産まれるよ

昨年の11月、妻が妊娠しました。
そして来週出産の予定です。
不安とか無い訳ではないのですが、それよりは待ち望んだ我が子に会えるのが楽しみでワクワクする気持ちが大きいです。

産まれてきた子には、これでもかとたっぷり愛情を注ぎたいと思います。
他方で、バカ親になるのではなく、必要な時はきっちり叱ったり躾けたりする厳しさや、バランス感覚も忘れないようにしようとも思っています。

あと気を付けようと思っていることとしては、子供がいくら可愛くても自分/夫婦の人生を過度に犠牲にすることなく、それはそれで充実感を追及し続けたいということですね。
いつか子供は巣立つしそれでも自分達の人生は続く訳なので、それを正しく意識しつつ仕事や趣味などを大事にし、子供だけでない充実感をしっかり感じながら、その充実感を子供とも共有していく様なスタイルが理想ですね。
同じく夫婦関係も子供が巣立った後も続く訳で、子供がいるから繋がっているということだけじゃなく、ちゃんと一個人同士としての関係性も意識し、大事にし続けたいなって思ってます。

自分が30年前に産まれた時、親もこんな気持ちだったのかなあなんて思うと、そうやって生命が繋がっていくことの尊さとか神秘を感じますね。
ああ、何というか今本当に幸せです。

Thursday, June 11, 2015

【不動産】 マンション買います


唐突ですが、マンション買いました。


きっかけは、景気動向のニュースを見たことでした。
趣味の一貫で過去に日本の財務三票分析をしたこともある中、日本が財政再生するには徹底的なインフレ政策しかないなと個人的にも思っており、阿部政権下で円の価値は間違いなく下がり、今の圧倒的低金利も上昇に向かうなとは考えていました。
そんな中、個人バランスシートのアセットサイドは今後価値の下がる円から、相対的には価値が維持される現物に変え、右側は現在の低金利状況下にて借入金を抱え込む必要性を強く感じていました。
円の価値は政策動向により大きく影響を受けますが、不動産の価値は相対的には変わらないはずですし、その一方でインフレ・利上げ局面では借入金の価値はどんどん薄まりますし、金利も固定してしまえば尚ベターということですね。

他方で自宅の購入には当初抵抗感があり、最初に検討したのは収益不動産でした。
自宅の購入に抵抗感があったのは、
・ 賃貸では、会社の社宅契約を使えばかなりの節税メリットが獲得出来ること
・ 家の場所が基本的には固定され、自分のキャリアなど本来主体的に判断すべきことに、一定の影響を与えてしまう
・ 子供が出来た時に手狭になるリスクがある
・ 自分が少し飽きっぽいことを前提に、賃貸だと飽きても引っ越しやすい
などの理由からでした。
よって、収益不動産で1~2億円ぐらいの物件を複数仕入れ、そこからのインカムゲインを元手に賃貸生活をエンジョイするのが美味しいかなと考えたという訳です。
これなら将来も不労所得を生んでくれるのでは、という期待もありました。


でも結論から言うと、収益不動産はてんでダメでした。


収益動産のゲームは、極めてシンプルな議論に纏めてしまうと、
・ 都会の物件なら利回りが低くて地方の物件なら利回りが高い
・ RC/鉄骨/木造などでローン年限などの条件が変わる
・ ローンがどれだけ付けられるかで必要自己資金額が大きく変わるため、銀行受けする物件であることが重要
・ 築年数や建物の管理状態によっては修繕費用などもかかる可能性がある
・ 重要指標である空室率は立地によってかなり規定される
みたいなゲームのルールだと整理出来ました。
そんな中、千葉の蘇我駅から徒歩2分の築5~10年の綺麗な物件で利回り7%の物件があり、それにフルローン(額面全額にローンが付くこと)が28年の金利1.5%で付くという出物がありました。
当初、これなら絶対にキャッシュフローはプラスになると確信(盲信)していました。
しかし、実際にPEファンドで習得した(!)エクセルモデルを回してみると、それでもキャッシュフローが全然回らないことが分かりました。
何と1.5~2億円も放り込んで、キャッシュフローは年間50万円ぐらいで、金利支払いが減る(元金利均等の場合、時間の経過とともに金利が減り、元本返済が増える)5年目以降ぐらいはキャッシュフローはマイナスになり得る状況。
老後の所得源とまで期待していたので、「何でや!」と混乱しました。
落ち着いて考えると、理由は大きく3つあり、鉄骨造でローン年限が28年しか付かずに返済ペースが速いこと、建物代がそこまででもないことから減価償却費がそこまで取れず税前利益いが大きくなってしまうこと、プラス自分の本業収入が一定程度あることから上記の税前利益に多額の税金がかかってしまうこと、と分かりました。
で、インカムゲイン期待が無いとなると、キャピタルゲイン勝負にならざるを得なくなります。
そう考えた際、本件を買うかどうかは、「本当に蘇我駅徒歩2分物件の資産価値は今後上がる/維持されるのか」という問題になります。

<蘇我駅前。決して小さい駅ではないのですが、、、>

短期の居住ニーズの積み上げで凌げるインカムゲインはまだしも、キャピタルゲインとなると長期のビューが必要となる投資であり、そうなるとその駅や場所がどんな場所か、かなりの土地勘が無いと判断出来ないということになってしまいます。
蘇我駅。。。
まあ小さい駅ではないのですが、そこに住む人の属性のイメージも湧かず、駅の評判なども分かりません。
聞くと、東京に蘇我から通う人は多くなく、千葉に通う人が多く住んでいる良い駅、とのことらしいのですが、僕の中では千葉自体が東京のベッドタウンというイメージしかないので、千葉に通う人が住む駅と言われても、、、という感じでした、正直。
結局、蘇我駅の築浅不動産物件が数年後に価格上昇/維持しているイメージが全然湧かず、本投資は見送りとなりました。



でも、この投資の検討プロセスが家を買おうと決心するのに繋がる大きな一歩になったことは間違いありません。
それは以下の3点の理由です。
① 固定金利の実現
最初に述べた理由から、出来るだけ固定金利でローンを付けたい気持ちがありました。
他方、収益不動産では投資用ローンとなってしまい、固定金利の実現は難しい状況です。
金利上昇局面になった時に、自分の保有資産よりかなり大きなサイズのローンを抱え、かつ流動性が不透明な少し郊外の物件を抱えている、というのは精神健康上良くないな、と強く実感しました。
その点、住宅であればフラット35や銀行の固定金利ローンなどで理想を実現出来るな、というのは本プロセスを経たことでの気付きでした。
② 不動産価格の動向
蘇我は改めて考えてもやっぱり郊外です。
インフレになると不動産の額面価値はそれ見合いで上がるのですが、それは全国一律に上がる訳ではなく、お金が集中するところから上がっていくに決まっており、それはやはり蘇我ではなく東京、それも東京中心部であろうと実感しました。
収益不動産で東京中心部を買うのは実質的に不可能です。
価格が高すぎるし、収益率が低すぎてフルローンの条件ではキャッシュフローがマイナスになるのが分かり切っているからです。
要するに金持ちじゃないと参加出来ないゲームということですね。
でもマイホームという形なら検討が十分出来るという点に一周回ったことで気が付きました。
③ エモーショナルな点
実はこれが非常に大事だと思ってるのですが、収益不動産の検討を行っているプロセスのどの地点でもあまりワクワクする部分が無かったということです。
勝っても自分が住むわけじゃないという点もありますし、やはり郊外物件を中心に見ていてもワクワクする部分は少なかったです。
それが、やはり自分が住むとなると話が全然違う訳です、はい。
大きな買い物を自分が全力挙げて納得するまで考える、そのやり甲斐みたいなものを求めていた部分も多分にある中で、自宅であれば俄然やる気が出ることに気付いたのも、これも収益不動産の検討、改め蘇我の検討のおかげです。

と、こんな経験を踏まえ、今年の3月頃に自宅を買おうと決めました。
ここから、どんな検討をしたかはまた別記事で書きます。

Thursday, May 14, 2015

【挨拶】 改めて

前の書き込みがブログ再開で、そのポストを最後に2年弱更新しておりません。。
そのポストを消してしまいたい衝動にも駆られますが、それも自分自身と受け止める器量が必要だと思いますし、30代になってそれを身につけたと信じてます。

さて、改めてですが、再度書き始めようかなと思っています。
この2年間、というよりもぼちぼち書いていた頃からすると3年間ですかね、大きな変化がありました。
結婚し、子供も出来そうで、自宅を買おうかななんて考えはじめ、仕事は目の前のことを必死にやるモードから少し俯瞰的に自分のキャリアを考えれる様になってきたかなと思い、色んな趣味にも取り組んできました。
そんな観点から、今だから書けることも多いと思いますし、前と違って自然体で書いていきたいと思っています。
恐らく内容としては、
・家族のこと (結婚生活、子供のこと)
・テニストーク (錦織はじめ、テニス観戦にどっぷりですし、テニスのプレーの方も)
・ゴルフトーク (妊娠以降は少し下火)
・仕事のことや日本の経済環境のこと 
・不動産関連 (自宅購入等を検討している中で思うところは多い)
・旅行記、グルメ、自作料理アピール
・その他思いついたこと
あたりになりそうです。

再度お付き合いください。
では。

Wednesday, August 14, 2013

【挨拶】 ブログ再開しようかな、と

<やり直させて下さい。>

読んで字の通り、暫く書いてなかったけど、また書こうかなと思う。

結局ブログって、なかなか書けない。
日々あったことの単純な感想レベル、例えば「今日行った○○っていうお寿司屋がうまかった」レベルだと、Facebookで十分なわけで。
本当は、日々の経験を踏まえて、自分の中で考えを2度3度推敲して、思考レベルまで引き上げたものだけ書きたいって思ってる。
そういうのを少なくとも週に1度や2度書ける様な、アウトプットの出来る人間になりたいな、って思ってるんだけど、なかなか出来ないね。。

とは言え、チャレンジしないと成長もないので、フィールドに戻ります。
一回完全に離れてたけど、もう一度挑戦してみます。

Tuesday, March 13, 2012

【挨拶・雑感】 松本になりました

<よろしく、松!!>

2012年3月9日を以て、27年半親しんだ新井の姓を松本に変更することになった。
松本とは、所謂母親の旧姓である。
これに関して、先週末は区役所、警察、銀行等走り回る必要があり、実務的に大変疲れた。
とは言え、この件に関しては心理的な意味合いが非常に大きかったと思っており、人生の一大イベントでもあるので、思ったことをここに残しておきたい。


【簡単な経緯】
2007年に父親の会社が倒産し、それにより両親が籍を分けることになった。
その後、籍は分けたものの皆で協力してやっていこうとしたが、父親が生活能力を著しく低下させた自分に卑屈になったのか、家庭に対して非常に非協力的で内向的になり、結果1~2年後には母親の気持ちも冷め、完全な別離に。
母親は名古屋で双子と同居、弟は東京で僕と同居という形になった。
父親とはほとんど誰も連絡を取らなかった。(母親は本当に取らなかった。子供三人は何度か連絡したが、取れなかった。 →最近取れるようになって安心している。)

それでも僕、双子の兄弟、弟の3人は父親の姓を使い続けていたのは、何となく母親がその内(元の)父親と元に戻るのでは的な期待感があったのは否定できない。
なぜなら、両親は過去から何度も喧嘩(程度は大小色々あったが)はしており、その度にしっかり仲直りをしていて、「今回もそういうもので、程度が過去最大なだけでしょ」みたいな気分があったからだ。
そして、息子ながらに、経済的にも十分豊かで、家族みんなが仲良く、明るい新井家は最高の家庭なんだという誇りがあったからだ。
つまるところ、新井という姓は、家族5人がもう一度揃う可能性が0でないことを、その使用により確認していた様なものだ。


そうこうしている内に、2011年11月、いきなり母親が自身の再婚話を切り出してきた。
このニュースは嬉しい反面ちょっと複雑ではあった。
嬉しさは兎に角安心感から来た。
そりゃあそうだろう、今までは今後どう母親を支えるんだろうというぼやっとした不安感があったのが、大きく薄まったからだ。
一方で、新井家という自分の中にあった仮想Familyがなくなる瞬間だったという意味においての寂しさはあった。
この段階で、新井を名乗り続ける意味合いが実質的に無くなり、新井という名を変える決意が固まった。
母親が再婚するため、松本になるには祖父母の養子に入る必要があったり、色々手続きに時間がかかり、それがAll clearになった末の2012年3月9日、晴れて松本になったというのが凡その変更経緯である。



<美加の台時代の新井邸>

<懐かしの、美加の台小学校>

【思うこと】
1、よい家族を作りたい気持ち
一度上記したが、僕は新井家というものが本当に好きだったことは改めて記載しておきたい。
喧嘩等は色々あったものの、全員とても仲良く、明るかったあの家は素敵な家庭だったと確信している。
特に、5歳~18歳(大学から東京)を過ごした美加の台は一生忘れられないと思う。

親父がプールで浮き輪に飛び込んで頭打って血を流してたこと、兄弟3人で親に隠れてファミコンしててばれて叱られたこと、風邪の時に母親が看病してくれたこと、全てが楽しかった。
一時離婚とかがあった時に、それを残念に思う気持ちからか、「新井家」というものに対して悪いイメージを感じてしまったことがあったが、今はそれがただの反動であったことが分かるし、今後、新井家に対して本来感じていた楽しさと誇りはぶれさせずに生きていきたい。

それを踏まえて、将来生まれるであろう自分の子にも、自分の家庭を楽しく思って欲しいし、誇りを感じて欲しいと思う。
そして、それが無くなる寂しさを感じさせることなく、ずっと幸せにしてあげたいと強く思う。


2、絆を深め続けることの必要性
両親は7年とかの大恋愛を経て結婚したらしい。
その間に両家の親からも大反対されただとか、そういった障害を二人で乗り越えて結婚したという話を何度も聞いた。
それでも最終的に駄目だったのだ。
やはり、結婚はゴールではないのだということをそのまま証明している様なものだと思っている。
血の繋がった親子や兄弟でも縁を切ったという例が十分すぎる程あることを考えると、ましてや血の繋がっていない人同士が、結婚という形にのみ頼って何十年もうまくやっていくことなど到底不可能なのだと思う。

両親の関係を出来るだけ客観的に見直してみて、僕は父親の態度に主に問題があったと言わざるを得ない。
「男は最終的にしっかり稼いで家庭を支え、あとは背中で語ればいいんだろ!」的な側面が年を取る毎に強まり、日々における感謝の気持ちと何気ない会話が最終的には著しく減ったと思う。
特に事業失敗後は、その気持ちが卑屈さに繋がり、家庭関係の崩壊をより加速させたのは上記した通り。
夫婦を支えるのが絆なのだとすると、その絆を深めるのはまさしく嬉しい時の「ありがとう」と、申し訳ない時の「ごめんなさい」であり、それを続けなければ絆が深まらないばかりでなく、どんどん綻んでいくのだと確信している。

付き合ってる間も、結婚しても、子供が生まれても、子供が巣立っても、ちゃんと「ありがとう」と「ごめんね」を大事に出来る自分でありたいし、そうならなければならないと思う。


上記2点を意識しながら、松本としての第二の人生を楽しくて深いものにしていきたいと思う。


<ぺこり>

今まで仲良くして頂いた皆様、新井悠平を支え、成長させて頂き、本当にありがとうございました。
これからも松本悠平を宜しくお願いします。

ということで、今日以降を今までの27年半よりもっと楽しい人生にするべく、全力で走り続けます。

Wednesday, March 7, 2012

【雑感】 弟との生活が終ります



この3月末で、2年間続いた弟(洋平君)との生活が終わる。
本当に色々苦労があったが、今となってはしてみて良かったなって思えるので、その気持ちを忘れない様に、文章にしておきたい。
自分のための備忘録的な部分も大きいので、駄文だが悪しからず。

【一年目の苦労】
基本的には苦労の全てはお金だった。
セガサミー等のパチスロ関連職に就きたいという夢を追って、専門学校に入ったはいいが、今の我が家の経済状況的には年間100万円の授業料は重かった。
なので、家賃は洋平が自分で一定分持つという取り決めにし、月2万円払わせた。
で、4月にいざこっちの家に引っ越してきたら、手持ちが2000円しかなかった。。
バイト始めるにも面接とかでリードタイムかかるし、働き始めてから入金までもリードタイムがあるので、最初の手持ちは少なく見積もっても10万円はいるだろうのにである。
しかも、おばあちゃんに10万円ぐらいは借金してただとか、専門学校に未払いが実は10万円あっただとか、後から後からボロボロ隠れていた問題が噴出。
その時点でかなりクラッと来たが、パチンコ店でのバイトを開始したことでちょっと安心していたら、初めの給与受取日(確か2010年5月20日)に受け取った13万円が入った財布を盗まれたって、幽霊みたいな顔して言ってきた。
もうその瞬間、どうしよって本当に本当に目の前が真っ白になったが、取り返すしかないと彼に諭しながら、自分にもそれを言い聞かせる感じ。
勿論2万円の家賃は滞納が続き、生活費は貸してあげ続ける状態。
そんな状況にも関わらず、条件が悪いと言ってパチンコ店のバイト辞めたあとも、同様にバイトをどんどん変えるのだ。
とんでもなく不安だった。

一番あり得なかったのはパチスロ話だった。
2010年9月頃に彼が生活に困り、母親に5万円借り、僕に5万円借りていた際、10月の20日には全部耳そろえると約束したことがあった。
しかし、20日を過ぎて、家で顔を合わせても一向に何も言ってこないので問い詰めたら、「合計10万円必要なのに7万円しか集まらなかったから一発逆転を狙ってパチスロに行ったら、全部その金をすった」というもの。
さすがに唖然。
この日は、約束した日に返せないということを自分から言わなかったズルさ、絶対返すと約束した日に必要額を揃えられなかった計画性の無さを徹底的に叱った。
(パチスロ行ったのは本人のリスクの取り方であり、怒っても仕方ないと思い、叱らなかった。パチスロに行かざるを得なかった状況を作らしめた計画性の無さが本質的な悪。)

そういう状況はずっと続き、おばあちゃんの借金10万円、母親への借金5万円、僕への借金10万円みたいな状況で2010年11月を迎えた時、個人的に限界が来た。
そこで、日々現金で収入が入る日雇いバイトに行かせ、その出勤計画表を日時単位で細かく作成させ、日々その進捗状況と現金を僕が管理する様にした。
その結果、12月末の年末に帰省する際には、おばあちゃんと母親の借金を返済し終え、僕にあと5万円の借金が残っているのみみたいな状況まで立て直せた。

そこで安心し切った僕も良くなかったが、1月2月と、彼はバイトを一回もしなかった。
僕は毎日顔合わせると、「バイト行ってる?」と確認したが、毎日「うん、行ってるよ」って言ってたので信じていた。
本当にちゃんと彼を見てれば、「何か違うな」と感じるべきだったと思うが、自分自身も色々忙しく、そういうのに目をつぶっていたのだろう。
(彼はお金が無くなってくると、家にある非炭水化物をどんどん食べるので、家の中の様子がちょっと変わってきたりする。)
気付けば、2011年2月末には借金20万円、手持ち現金0円という惨状。

ここで、母親と僕と洋平で、もう来年は学校行かずに大阪帰れっていう話をシリアスにした2時間は本当に辛かった。
自分自身は母親への義務感とか義理みたいなので弟を預っていたが、ちゃんと導いてやれなかった自分が恥かしい気持ちとかで何が何やら分からなかった。
母親と僕はここで本当に大阪帰らせて彼の夢とか奪ってしまったんだって将来後悔したくないから、彼に来年こそ立ち直るという決意表明をして欲しかったのだが、その舞台をこっちがわざわざ作っても洋平は2時間一言も発しなかった。
しかも彼の携帯電話は当たり前の様に止まってるから、その場を逃したら次いつ話せるか分からないのに。
頭狂うかと思った。
この時が2年間で本当に底。


【泥沼からの好転】
その後、何とか彼から決意表明を引き出した。
ただ、そこから生活をまともな状態に戻すのは本当に骨が折れた。
とにかく、バイトを探すにも彼には探す力が無いのだ。
20万円の借金に手持ち現金0円だから、ちょっと遠くのバイト先には面接すら行けず、合格通知等の電話も受けれないのだ。。
結果、僕が10万円彼に生活資金用追加資金を融資した。(それは後に15万円まで膨らんだ。)
これは本当に苦渋の決断だった。
だって、当時自分も出費が続いたりしてて、本当に金欠だったので、15万円がとてもきつかったのだ。

ただ、それがあって彼はようやくバイトを探し始めた。
それまでは生活に困ってる様子が家の中の物から伝わってきて(海苔が凄いペースで減るとか)、顔色も悪かったのが、まともな食事をして顔色良くなったことで面接も通った様だ。
一時震災でバイト探しが中断せざるを得ず、ずっと家でゲームばかりしてた時期はちょっと気がおかしくなりそうだったが、それも乗り越え、4月から本格的に十番駅前の鳥貴族でバイトを開始し、ちょっとずつお金が返ってき始めた。
銀行の通帳とカードは完全に僕が預り、出費も全て管理し、バイト出勤日も管理する厳しさをした結果、合計35万円の借金を4月から9月にかけてで完済させた時は涙出るかと思った。

その後もちゃんとバイトをしている模様で、金銭的にも余裕が出来たみたいで、生活と気分が豊かで前向きなのが伝わってきて、それは本当に喜ばしかった。


【2年間での学び】
こういった同居生活を通して、色々学べたと思っているが、やはり以下の2点が一番大きいと思っている。

<1、怒りの本質について

当初、彼には凄くイライラしていたのだが、僕は彼のせいだとずっと思っていた。
しかし、イライラして僕が怒っては彼が同じことを繰り返す、そんなスパイラルの中でその現象の本質について考えた時、僕がイライラする理由が「彼がちゃんと決めたことをやらないから」ではなく、「僕が彼に対して高過ぎる期待値を持ち過ぎている」ためであるという、とても大切な本質に気付いたことはとても大事なことだったと思う。
例えば、上で書いたパチンコ屋で洋平が7万円スッた話で行くと、返済をい絶対失敗させたくないなら、その時点で通帳とカード預るとか、デイリーに行動を管理するとか色々オプションはあったはずである。
「彼にはちょっと出来なそうだな」って自分が思っているのにも関わらず、その課題・命題を相手に突きつけて、プロセスは放置気味で、結果が出ないと怒るっていうのは、やはりマネジメントの正しいあり方ではないのだろう。
相手を見て、その実力をフェアに判断して、不足しているなって思うならどうやってそのGapを埋められるか一緒に考える、これはとっても大事なことだと改めて認識。
特に、相手に何らか特定の成果を期待しているのであれば。


<2、相手を見て変化に気付くこと>
相手をちゃんと見ていると、変化に気付くはずである。

上記した様に、例えば海苔が明らかに凄まじいペースで減ってるとか、最近家にあまり帰って来ないなとか。



海苔が無くなってたら、やっぱりお金がなくて食べ物買えずに困ってるのだろうし、帰って来ない時は彼女出来てたりとかするのだ。(後者は喜ばしい事であるが。)

という様に、変化には何らかの理由があって、相手のことを大事に思うのであれば、それに敏感に気付かなきゃダメだと思う。
更に、もっと大事なことは、それに気付いたら「ま、いいか」で放っておくのではなく、積極的に会話せねばならないということだ。
僕は海苔が無くなった時に、ちょっと「サボってるからだ、ざまあ見ろ!」とか思い、結果彼が相談出来ない地盤を作ってしまったことが、後の借金増大に繋がったとも思う。
それを他の例で見てみると、例えば「気付いたら奥さんに浮気されてました!」とか、「息子が精神的に病んでいることに気がつきませんでした!」とかそういう事例は周りに転がっていると思うが、僕自身は今後、自分にとって大事な人をちゃんと見て、その人がおかしいなって思ったら、自分から進んで声を掛けれるようになりたいなって再認識。



・・・

いやあ、本当に書きつくせないな。
・初めて彼が家に来た2010年4月、2人で鍋をした時、洋平がボソっと「なあ悠平、今まで何人とやったん?」って聞いてきたこと
・洋平が風邪で寝込んでて、「何か買ってきたろうか?」って聞いたら、「米が切れてるから出来れば5kg買ってきて」ってボソっと言ってたこと
・僕の友達が来てる時に、一緒に飲もうやって混ぜたら緊張からか酒が進んで、顔が真っ赤になってたこと
とか、色々かわいいところは多かったな。
いい思い出ありがとう。

今後彼はまだ果たせてないパチスロ業界への就職という夢を追い続けるとのことだが、諦めずに向かっていって欲しいな。
そして、明るさと可愛さをなくさずにいて欲しいなって兄ながらに思う次第!!

Thursday, January 19, 2012

【雑感】 人にやさしく




久々にブログアップ。
(安い言い訳なんだけど、仕事が忙しくなると書けないね。もっとカジュアルに書ける様になればいいんだけど。)


さて、最近嫌なことがあった。
簡単に言うと、仲のいい友達にメールで嫌なことを言われたということ。
さらに、その友達がそんなことをしてきた理由が、(自分のイライラを人にぶつけたってとこだと思う。
そして、その一方そうすることで自分に構って欲しいという気持ちがあるのだろう。

正直大人になってこういうことってやるべきじゃないと思う。
 ・子供の頃、母親(勿論子供は母親のことが大好きという前提)にわざと悪口言ってみる
 ・小~中学校の頃、気になる子にわざと意地悪をしてしまう
っていうのは、誰にもある経験だろうが、それって子供だから許されるコミュニケーション方法だろう。
大人になったのなら、やはりそういう自分の欲求を満たすために、人を少なからず傷付けちゃってる自分を客観的に見て、そういう行動は慎まないといけないと思う。

そして、構って欲しいという自分の欲求は、人を傷つけない形で正しく発信すべきだ。
ただ、ちょっと恥ずかしくても「(寂しいから)相手してよ」って言えばいいだけだ。
それさえも言えないなら、家に篭って趣味にでも没頭しておきましょう。
それ程人を傷付けるというのは重い罪なのだと知るべきかと。


これって凄い当たり前のことなんだけど、実際難しいことだと思う。
でもそういう当たり前のことを、当たり前として出来る様になって、優しくて素敵な大人になりたいなって思う次第。

さて、その友達にはちゃんとそういうことを注意してあげなきゃだ。