Tuesday, July 19, 2011
【趣味】 なでしこ優勝おめでとう
なでしこジャパンが優勝した。
さんざんニュースになっているのだが、やはりこれは凄いことだと思う。
強豪国と戦い続けての優勝、本当におめでとう。
この優勝の瞬間を見てて感じたのは、何かに真剣に打ち込んだ人達の美しさ。
言っちゃ悪いのだが、選手一人一人は美人でない方が多いのだが、優勝した瞬間にトロフィーを掲げながら心からの笑顔を浮かべるチームの方々の顔が本当に美しく見えた。
後光がさしているかと思うぐらい美しく見え、涙が出た。
(選手達の置かれていた苦しい境遇みたいな記事も、ここ最近多く読んでいたからなおさらそれが染みたというのはある。)
やっぱり人の美しさは外見よりも内面から溢れ出るものなんだと改めて実感。
自分自身も改めて仕事・人生の目標に向けて改めて真剣になろうと思った次第である。
なでしこジャパン、おめでとう。
and ありがとう。
Tuesday, July 12, 2011
【雑感】 wantで生きよう
最近就職活動生や、転職で悩む人の相談に乗ることが多かったのだが、その中で思うことがあったので書きたい。凄く気になったのは、「自分はこうするべき(should)」ということをベースに人生を考えている人が殆どであること。まあそれを否定するものでは無いし、自分もずっとそうだったからその考えはよく分かるのだが、今となっては「自分はどうしたいか(want)」をベースに生きるべきかと思っている。
最近自分のwantを掴んだものが勝ちだとしきりに思うのだ。社会人も丸3年経験し、同期等の進路もどんどんバラバラになっている中、自分に合ってない会社の中で毎日苦しい表情で耐えて仕事している奴もいれば、早々にタフな環境を抜け出して楽しそうに生きている奴もいる。ただ、せっかく一度切りの人生なんだから笑って生きていたいじゃない。
どんなに金を稼いでても、どんなに能力が伸びてても、その結果満面の笑みが出てこないのであれば、それに本当に意味があるのか自問自答すべきだと思う。個人個人、「自分は将来何をしたいか」「どういう瞬間が自分にとって最大の幸せか」「その人生においてお金はどのぐらい必要か」等のキークエスチョンを徹底的に深めていないといけないのではないかと強く思う。
さて、これはあくまでも私見だが、自分のwantを考える上で考慮すべき点は以下だと思っている。
①深く考えること
wantって言葉尻だけ捕らえ、みんな「のんびり暮らすこと」とか言いがちであるが、本当にそうなのか。本当にやりたい事ってそんなものなのか、深く考えるべきである。例えば本当にハワイでのんびり暮らせたとして、1ヶ月のんびりし続けたら飽きて、仕事したくなったりしないかなあ、なんて考えてみる必要性がある。
この部分の思考が浅い人は本当に多いと思う。(自分のレベルが十分かどうかはこの際置いておく。)例えば「僕は日本に貢献したいのです」って言う人がいたのだが、「何故?」って聞くと全く答えられなかった。そういう自分の中での表層的なレベルでのwantを、自分の性格/性質レベルに落とし込まないと全く機能しないだろう。
ちなみに前述の日本に貢献したい人について、僕が聞く限り、その人の日本に貢献したい欲の底に横たわる性質としては、「自分自身のオーナーシップが高く、自分が関わる人・組織・社会は良くあって欲しい、良くしたい」という考え方なのだと感じた。そう落とし込めると、本当に良くしたいのは、本当に日本なのか、まずはもっと身近な家族/友人レベルなのか、という議論に繋がってくるのだと思う。
②想像力を多面的に働かせる
人にとってwantを見付けるのが難しい最大の理由は、したいことって誰にとっても数多くあり、その中で取捨選択/優先順位付けが出来ないからであろう。そういう中で、何となくその順位付けはなあなあにしておきながら、目の前のタスク(should)で生きている人は多いと思う。ただ、これを決めねば自分にとっての本当のwantが見えてこないのは確実だろう。そういう時にこそ、相当想像力を使い答えを出すべきではないか。
その時使える一つのツールとして、「どっちに嫉妬するか」ツールなんかがある。例えば、商社に行くのと投資銀行本部(IBD)に行くのを迷っている人がいるとしよう。その中のどちらかに入って30歳になった時、他方の選択肢を取った同世代の人にどの程度嫉妬しそうか想像してみる。「商社にいると仕事もプライベートもそこそこ充実してるけど、何となく特定の技能が付いた気がせず、それをガッチリ身につけられるIBDの人に嫉妬しそう、」って思うならIBDに行くべきである、みたいな感じ。
③間違っていたと思った瞬間行動を修正させる
上記取捨選択/優先順位付けはすべきだと言ったが、人生のどの時点においても、それはその時点における仮説レベルに留まることは仕方ないと思う。なので、人生において価値観を変えうる大きな出会い/イベント等があれば、それが変わるのは仕方がないだろう。
問題は今までの自分のwantが間違ってたなって思った時、どうするかではないか。個人的にはその瞬間に修正すべきだと思う。だってやっぱり人生は一回なんだし、やりたい事やって笑って生きていたじゃない。勿論、上記①の条件を満たしている人であれば、そんな安易にコロコロwantを変えないという前提に基づいての意見である。簡単/安易にwantを変えるのがよろしくないのは言うまでもないだろう。
最近自分のwantを掴んだものが勝ちだとしきりに思うのだ。社会人も丸3年経験し、同期等の進路もどんどんバラバラになっている中、自分に合ってない会社の中で毎日苦しい表情で耐えて仕事している奴もいれば、早々にタフな環境を抜け出して楽しそうに生きている奴もいる。ただ、せっかく一度切りの人生なんだから笑って生きていたいじゃない。
どんなに金を稼いでても、どんなに能力が伸びてても、その結果満面の笑みが出てこないのであれば、それに本当に意味があるのか自問自答すべきだと思う。個人個人、「自分は将来何をしたいか」「どういう瞬間が自分にとって最大の幸せか」「その人生においてお金はどのぐらい必要か」等のキークエスチョンを徹底的に深めていないといけないのではないかと強く思う。
さて、これはあくまでも私見だが、自分のwantを考える上で考慮すべき点は以下だと思っている。
①深く考えること
wantって言葉尻だけ捕らえ、みんな「のんびり暮らすこと」とか言いがちであるが、本当にそうなのか。本当にやりたい事ってそんなものなのか、深く考えるべきである。例えば本当にハワイでのんびり暮らせたとして、1ヶ月のんびりし続けたら飽きて、仕事したくなったりしないかなあ、なんて考えてみる必要性がある。
この部分の思考が浅い人は本当に多いと思う。(自分のレベルが十分かどうかはこの際置いておく。)例えば「僕は日本に貢献したいのです」って言う人がいたのだが、「何故?」って聞くと全く答えられなかった。そういう自分の中での表層的なレベルでのwantを、自分の性格/性質レベルに落とし込まないと全く機能しないだろう。
ちなみに前述の日本に貢献したい人について、僕が聞く限り、その人の日本に貢献したい欲の底に横たわる性質としては、「自分自身のオーナーシップが高く、自分が関わる人・組織・社会は良くあって欲しい、良くしたい」という考え方なのだと感じた。そう落とし込めると、本当に良くしたいのは、本当に日本なのか、まずはもっと身近な家族/友人レベルなのか、という議論に繋がってくるのだと思う。
②想像力を多面的に働かせる
人にとってwantを見付けるのが難しい最大の理由は、したいことって誰にとっても数多くあり、その中で取捨選択/優先順位付けが出来ないからであろう。そういう中で、何となくその順位付けはなあなあにしておきながら、目の前のタスク(should)で生きている人は多いと思う。ただ、これを決めねば自分にとっての本当のwantが見えてこないのは確実だろう。そういう時にこそ、相当想像力を使い答えを出すべきではないか。
その時使える一つのツールとして、「どっちに嫉妬するか」ツールなんかがある。例えば、商社に行くのと投資銀行本部(IBD)に行くのを迷っている人がいるとしよう。その中のどちらかに入って30歳になった時、他方の選択肢を取った同世代の人にどの程度嫉妬しそうか想像してみる。「商社にいると仕事もプライベートもそこそこ充実してるけど、何となく特定の技能が付いた気がせず、それをガッチリ身につけられるIBDの人に嫉妬しそう、」って思うならIBDに行くべきである、みたいな感じ。
③間違っていたと思った瞬間行動を修正させる
上記取捨選択/優先順位付けはすべきだと言ったが、人生のどの時点においても、それはその時点における仮説レベルに留まることは仕方ないと思う。なので、人生において価値観を変えうる大きな出会い/イベント等があれば、それが変わるのは仕方がないだろう。
問題は今までの自分のwantが間違ってたなって思った時、どうするかではないか。個人的にはその瞬間に修正すべきだと思う。だってやっぱり人生は一回なんだし、やりたい事やって笑って生きていたじゃない。勿論、上記①の条件を満たしている人であれば、そんな安易にコロコロwantを変えないという前提に基づいての意見である。簡単/安易にwantを変えるのがよろしくないのは言うまでもないだろう。
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