<よろしく、松!!>
2012年3月9日を以て、27年半親しんだ新井の姓を松本に変更することになった。
松本とは、所謂母親の旧姓である。
これに関して、先週末は区役所、警察、銀行等走り回る必要があり、実務的に大変疲れた。
とは言え、この件に関しては心理的な意味合いが非常に大きかったと思っており、人生の一大イベントでもあるので、思ったことをここに残しておきたい。
【簡単な経緯】
2007年に父親の会社が倒産し、それにより両親が籍を分けることになった。
その後、籍は分けたものの皆で協力してやっていこうとしたが、父親が生活能力を著しく低下させた自分に卑屈になったのか、家庭に対して非常に非協力的で内向的になり、結果1~2年後には母親の気持ちも冷め、完全な別離に。
母親は名古屋で双子と同居、弟は東京で僕と同居という形になった。
父親とはほとんど誰も連絡を取らなかった。(母親は本当に取らなかった。子供三人は何度か連絡したが、取れなかった。 →最近取れるようになって安心している。)
それでも僕、双子の兄弟、弟の3人は父親の姓を使い続けていたのは、何となく母親がその内(元の)父親と元に戻るのでは的な期待感があったのは否定できない。
なぜなら、両親は過去から何度も喧嘩(程度は大小色々あったが)はしており、その度にしっかり仲直りをしていて、「今回もそういうもので、程度が過去最大なだけでしょ」みたいな気分があったからだ。
そして、息子ながらに、経済的にも十分豊かで、家族みんなが仲良く、明るい新井家は最高の家庭なんだという誇りがあったからだ。
つまるところ、新井という姓は、家族5人がもう一度揃う可能性が0でないことを、その使用により確認していた様なものだ。
そうこうしている内に、2011年11月、いきなり母親が自身の再婚話を切り出してきた。
このニュースは嬉しい反面ちょっと複雑ではあった。
嬉しさは兎に角安心感から来た。
そりゃあそうだろう、今までは今後どう母親を支えるんだろうというぼやっとした不安感があったのが、大きく薄まったからだ。
一方で、新井家という自分の中にあった仮想Familyがなくなる瞬間だったという意味においての寂しさはあった。
この段階で、新井を名乗り続ける意味合いが実質的に無くなり、新井という名を変える決意が固まった。
母親が再婚するため、松本になるには祖父母の養子に入る必要があったり、色々手続きに時間がかかり、それがAll clearになった末の2012年3月9日、晴れて松本になったというのが凡その変更経緯である。
<美加の台時代の新井邸>
<懐かしの、美加の台小学校>
【思うこと】
1、よい家族を作りたい気持ち
一度上記したが、僕は新井家というものが本当に好きだったことは改めて記載しておきたい。
喧嘩等は色々あったものの、全員とても仲良く、明るかったあの家は素敵な家庭だったと確信している。
特に、5歳~18歳(大学から東京)を過ごした美加の台は一生忘れられないと思う。
親父がプールで浮き輪に飛び込んで頭打って血を流してたこと、兄弟3人で親に隠れてファミコンしててばれて叱られたこと、風邪の時に母親が看病してくれたこと、全てが楽しかった。
一時離婚とかがあった時に、それを残念に思う気持ちからか、「新井家」というものに対して悪いイメージを感じてしまったことがあったが、今はそれがただの反動であったことが分かるし、今後、新井家に対して本来感じていた楽しさと誇りはぶれさせずに生きていきたい。
それを踏まえて、将来生まれるであろう自分の子にも、自分の家庭を楽しく思って欲しいし、誇りを感じて欲しいと思う。
そして、それが無くなる寂しさを感じさせることなく、ずっと幸せにしてあげたいと強く思う。
2、絆を深め続けることの必要性
両親は7年とかの大恋愛を経て結婚したらしい。
その間に両家の親からも大反対されただとか、そういった障害を二人で乗り越えて結婚したという話を何度も聞いた。
それでも最終的に駄目だったのだ。
やはり、結婚はゴールではないのだということをそのまま証明している様なものだと思っている。
血の繋がった親子や兄弟でも縁を切ったという例が十分すぎる程あることを考えると、ましてや血の繋がっていない人同士が、結婚という形にのみ頼って何十年もうまくやっていくことなど到底不可能なのだと思う。
両親の関係を出来るだけ客観的に見直してみて、僕は父親の態度に主に問題があったと言わざるを得ない。
「男は最終的にしっかり稼いで家庭を支え、あとは背中で語ればいいんだろ!」的な側面が年を取る毎に強まり、日々における感謝の気持ちと何気ない会話が最終的には著しく減ったと思う。
特に事業失敗後は、その気持ちが卑屈さに繋がり、家庭関係の崩壊をより加速させたのは上記した通り。
夫婦を支えるのが絆なのだとすると、その絆を深めるのはまさしく嬉しい時の「ありがとう」と、申し訳ない時の「ごめんなさい」であり、それを続けなければ絆が深まらないばかりでなく、どんどん綻んでいくのだと確信している。
付き合ってる間も、結婚しても、子供が生まれても、子供が巣立っても、ちゃんと「ありがとう」と「ごめんね」を大事に出来る自分でありたいし、そうならなければならないと思う。
上記2点を意識しながら、松本としての第二の人生を楽しくて深いものにしていきたいと思う。
<ぺこり>
今まで仲良くして頂いた皆様、新井悠平を支え、成長させて頂き、本当にありがとうございました。
これからも松本悠平を宜しくお願いします。
ということで、今日以降を今までの27年半よりもっと楽しい人生にするべく、全力で走り続けます。