昨日28日にフルマラソンに出場した。
それが余りに刺激的な体験になったので記したい。
出場したつくばマラソン自体、基本的にフラットなコースで、当日の天気も寒くも暑くもないというベストコンディションだった。
自分自身、こんなに気持ちよく走れるのかと思うほど当日の体調が良く、折り返し地点の21kmまではほぼ疲れも感じることなくスイスイと進む。
その時のNet Time(スタート地点までのぞろぞろ歩く時間を省く)は1:43であり、初出場にして3:30切りが出来るのではなんて色気を感じていた。
(5kmを24~5分程度の高スピードでも全然しんどくなかった)
しかし、25kmを過ぎた頃から雲行きが怪しくなる。
前半には全く感じなかった足の疲れを感じてきたのだ。
最初は足のどの箇所か分からなかったが、次第に両足の足首、ふくらはぎ、もも裏、もも外側だと認識。
ピンポイントで記憶しているが、28kmを過ぎた頃からは完全に別世界に突入。
前半では5kmがけっこうあっと言う間に過ぎたのに、その頃になると1kmが超長く感じる。
35kmの給水時に初めて足を止めてストレッチした時にはびっくりした。
何せ、ストレッチで足を伸ばそうとすると、そのまま3箇所同時に吊りそうになった。
怖くなりそれ以上ストレッチせずに走り出したものの、そこからの8kmは痛む足と戦い、吊る恐怖に怯えながら、1歩ずつ進んでいることをしっかり味わいながら進む感じ。
スタート地である筑波大学構内に入って一瞬安堵感に包まれるものの、そこからがまた長い。
4km。
スタート時には何でもない4kmが地獄の様に長い。
恐怖が起きたのは残り3km時点。
右足ふくらはぎが走りながら完全に吊った。
急いで道を逸れて足を伸ばそうとしたら、両足の他の箇所5箇所が全部吊りそうになって、もう泣きそうになり、足を伸ばすのは諦める。
超痛む足を引きずりながら「あと3km、あと3km」と言いながら走る。
28km地点頃からは「もう投げ出したい」「僕にワープが使えて一気に5km飛ばせたらな」「歩けば楽かな」なんて一分間に何十回考えたか分からない。
でもその一方で「こんなのを投げ出していたら僕の人生何が起きても投げ出す人生になる」と思いながら自分の足を前に進めることの繰り返し。
気付けば吊ってしまい激痛を産んだ足も、慣れからか、もしくは残り2km1kmと迫るゴールへの期待感からか余り感じず。
そして最後のトラックに突入。
周りのランナーはラストスパートをかけているが、自分にはそんな余裕なんか全くないが、ビュンビュン抜かされていくことも全く気にならない。
大きなゴールゲートが近づいてくる。
ゴール。
タイムを見ると3時間52分を指している。(Gross Time。Net Timeだと-6分。)
4時間を切った。
目標としていた4時間を初めてのマラソンで切った。
なのに、ゴールに着いた瞬間はあまり達成感がなかったのが気持ち悪い。
が、何より足元がふらふらで寝転がれる芝生にでも横にならないと立ってることだけで精一杯なため、達成感に頭がまわらないw
ゴール直後から暫く、誘導員に誘導されるがままに歩かされ、身に付けた記録チップを返却し、完走記録証をもらう。
そして芝生に横になる。
本当に気持ちのよい日で、少々冷えた空気が火照りきった体に気持ちよく、空晴天。
何故か不意に涙が出てきて、次第に止まらなくなり、そして号泣した。
東大合格した時、サークル卒業の時、会社が潰れた時など、今まで色々自分喜怒哀楽を感じるいろんな局面に出くわしたが、ここまで泣いたことはなかった。
最初は4時間切った達成感のためかと思ったが、涙の質が明らかにそれではなく、何ゆえに出てくる涙か分からなかった。
しかし、次第にこれは生きていることの涙なんだと分かってきた。
自分自身、今まで色々頑張って生きてきたつもりだったが、ここまで自分を追い込んだことはなかったんだなと。
本当に自分を追い込んで、それを自分が乗り越え、ようやく落ち着ける場所に帰った時にようやく感じられる「自分は今生きているんだ」ということに対する感謝。
それが胸を突いて、自分に涙を流させたんだと理解できた。
(周りにそんな泣いている人はいなかったが、全然恥ずかしくなかった。)
そこから一日経った今、全身筋肉痛で、マラソンなんて暫くいいやと思っている。
「生きていることの充実感って何やねん」、「何で泣いとってん」って自嘲なんかしながら、会社内で4時間切りを果たしたことを自慢している。
やはりあの一瞬で感じた生きている感は期限付きであり、本当にあの一瞬しか味わえないものだったんだろうって思う。
応援する側、客観的に見る側でなく、自分で真剣にプレーして初めて得られる喜び、達成感、それを得た今自分の世界は一歩深まったと確信している。
それを求めてきっとマラソンは今後も続けるだろう。(暫くはいいが。)
ただマラソン以外でも、自分自身をもっと追い込め真剣になれるきっかけをマラソンはくれたと思う。
今後における自分の進化に自分自身注目したいと思う。
Monday, November 29, 2010
Friday, November 12, 2010
【趣味】 サッカー日本代表のコパアメリカ参戦に思う
http://sports.yahoo.co.jp/news/20101112-00000024-jij-spo.html
アルゼンチンで開かれる来年7月のコパ・アメリカで、日本代表がアルゼンチンと同組になったというニュースが流れた。
コパ・アメリカに日本代表が出るということすら知らなかったので、結構な驚きだった。
前提として申し上げておくが、僕はそこまで日本代表ファンではなかった。
非常にヨーロッパサッカーが好きなので、ブラジルやイタリアなど好チームと日本が、W杯においてノックアウト式の対戦を行ったら、日本じゃない方を応援してしまう気もする。
そんな世間的に言うと天邪鬼なポジションを取っておきながら、いざ南アW杯を見たら自分のナショナリティが相当に刺激され、強く応援してしまったのは事実である。
まあ客観的に言うと、サッカーファン的に許せなかった日本代表のただのミーハー的な人気が翳ってきたことに加え、単純に日本代表のサッカーの質がそもそも上がったことで、日本代表を今まで敬遠してきた僕の中のThresholdを越えたというところだろう。
これからは一定程度日本代表も注目していきたいと今は思っている。
そんな日本代表のコパ・アメリカ参戦だが、どうなんだろう。
実際アルゼンチンには今年勝利しているし、やれる気もするし、大敗しかねない気もする。
気になるのは、日本代表の中期的ビジョンに来年1月のアジアカップとコパ・アメリカがどう乗っかってくるのかという点である。
アジアカップは勝利すればブラジルで2013年に行われるコンフェデ杯への参戦権も得られる非常に重要な戦いである。
そして、コパ・アメリカは少なくとも多くのチームが日本と同等もしくは日本より強い国なのだ。
それらを考えた時、そういった重要な大会に理想を求めて戦うのか(日本は攻撃的なサッカーを志向すると豪語している点は重要)、それとも理想を捨てて現実的な戦いをするのかという点は、少なくともはっきりとポジションを取ってほしい。
W杯後、8月に監督選びをしていた際、サッカー連盟は攻撃的に勝利するという非常に高い理想を掲げて監督を選んだという。
これにはアジアカップやコパ・アメリカという重要な大会が半年・一年以内にやってくることが前提としてどの程度織り込まれていたのか甚だ疑問である。
守備のブロックに比べ、攻撃の連動性や組み立ては生み出すのに時間がかかる。
(攻撃の連動性を作れている国なんて、そもそもスペインとか一部の限られた国のみだが、そのスペインなんかはバルサでいつもプレーしている選手を基礎に作ったチームだから可能。)
W杯も守備を固めてのカウンターで勝利した日本が、攻撃サッカーで両大会を勝ち抜けるとはやはり思えない。
本当に必要だったのは、日本としてある意味両大会を捨てる覚悟で理想のサッカーを目指しに行くのか、それとも現実路線を煮詰める形で両大会における好成績を目指すのか、その辺に関するトップの強い姿勢だと思う。
僕は正直、日本に本当に合っているのは後者だと今でも思っている。
そして、短期的にチームに組織をもたらせるプロの様な監督(例えばカペッロとかモリーニョとかが典型)が、就任後すぐに重要な大会が続く日本にとってベストだったと思う。
まあ、そんなことを嘆いても賽は投げられているのだから、仕方がない。
とは言え、きっと日本代表は両大会において現実的に、守備的に振舞うことになると思う。
なぜなら、選手達に勝つことのプライドがW杯で目覚めていると思うから。
あのW杯において、選手達は自分達で守備的に振舞って、その結果勝つことの喜びを味わい、それを徹底したのだ。
勝つことの喜びを自分達で見出した選手達が勝てないけど理想を追う、という選択肢を取ると思えない。
そんな日本代表が両大会で良い成績を出すことを祈っております。
最近応援を始めた新井より。
アルゼンチンで開かれる来年7月のコパ・アメリカで、日本代表がアルゼンチンと同組になったというニュースが流れた。
コパ・アメリカに日本代表が出るということすら知らなかったので、結構な驚きだった。
前提として申し上げておくが、僕はそこまで日本代表ファンではなかった。
非常にヨーロッパサッカーが好きなので、ブラジルやイタリアなど好チームと日本が、W杯においてノックアウト式の対戦を行ったら、日本じゃない方を応援してしまう気もする。
そんな世間的に言うと天邪鬼なポジションを取っておきながら、いざ南アW杯を見たら自分のナショナリティが相当に刺激され、強く応援してしまったのは事実である。
まあ客観的に言うと、サッカーファン的に許せなかった日本代表のただのミーハー的な人気が翳ってきたことに加え、単純に日本代表のサッカーの質がそもそも上がったことで、日本代表を今まで敬遠してきた僕の中のThresholdを越えたというところだろう。
これからは一定程度日本代表も注目していきたいと今は思っている。
そんな日本代表のコパ・アメリカ参戦だが、どうなんだろう。
実際アルゼンチンには今年勝利しているし、やれる気もするし、大敗しかねない気もする。
気になるのは、日本代表の中期的ビジョンに来年1月のアジアカップとコパ・アメリカがどう乗っかってくるのかという点である。
アジアカップは勝利すればブラジルで2013年に行われるコンフェデ杯への参戦権も得られる非常に重要な戦いである。
そして、コパ・アメリカは少なくとも多くのチームが日本と同等もしくは日本より強い国なのだ。
それらを考えた時、そういった重要な大会に理想を求めて戦うのか(日本は攻撃的なサッカーを志向すると豪語している点は重要)、それとも理想を捨てて現実的な戦いをするのかという点は、少なくともはっきりとポジションを取ってほしい。
W杯後、8月に監督選びをしていた際、サッカー連盟は攻撃的に勝利するという非常に高い理想を掲げて監督を選んだという。
これにはアジアカップやコパ・アメリカという重要な大会が半年・一年以内にやってくることが前提としてどの程度織り込まれていたのか甚だ疑問である。
守備のブロックに比べ、攻撃の連動性や組み立ては生み出すのに時間がかかる。
(攻撃の連動性を作れている国なんて、そもそもスペインとか一部の限られた国のみだが、そのスペインなんかはバルサでいつもプレーしている選手を基礎に作ったチームだから可能。)
W杯も守備を固めてのカウンターで勝利した日本が、攻撃サッカーで両大会を勝ち抜けるとはやはり思えない。
本当に必要だったのは、日本としてある意味両大会を捨てる覚悟で理想のサッカーを目指しに行くのか、それとも現実路線を煮詰める形で両大会における好成績を目指すのか、その辺に関するトップの強い姿勢だと思う。
僕は正直、日本に本当に合っているのは後者だと今でも思っている。
そして、短期的にチームに組織をもたらせるプロの様な監督(例えばカペッロとかモリーニョとかが典型)が、就任後すぐに重要な大会が続く日本にとってベストだったと思う。
まあ、そんなことを嘆いても賽は投げられているのだから、仕方がない。
とは言え、きっと日本代表は両大会において現実的に、守備的に振舞うことになると思う。
なぜなら、選手達に勝つことのプライドがW杯で目覚めていると思うから。
あのW杯において、選手達は自分達で守備的に振舞って、その結果勝つことの喜びを味わい、それを徹底したのだ。
勝つことの喜びを自分達で見出した選手達が勝てないけど理想を追う、という選択肢を取ると思えない。
そんな日本代表が両大会で良い成績を出すことを祈っております。
最近応援を始めた新井より。
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